【硯修會】第2回公演 

令和元年8月17日 

宝生能楽堂

ご挨拶

第1回公演の「野宮」から2年。

前回の公演終了直後から3人で次回公演に向け案を出し合い準備を進めて参りましたが、ようやく第2回公演の開催に漕ぎつけました。

前回は【能一番を3人で】という想いを第一に考え、能「野宮」一番のみという番組にいたしましたが、今回は趣向を変え、自ら望んだこの研鑽の場で、それぞれが初挑戦の大曲に挑みます。

演目は大蔵流狂言「射狸」、そして宝生流能「熊野」を膝行三段之舞の小書(特殊演出)着きにてご覧頂きます。

「射狸」は大曲「釣狐」の狸版ともいわれる作品。「釣狐」に比べておおらかな趣きを持ちながら詩情溢れる曲で、大蔵流では古くから秘曲として非常に大事にされています。この上演頻度が極めて稀な演目に山本泰太郎が初めて挑みます。

「熊野」は何度見ても飽きないということから「熊野松風に米の飯」とも例えられてきた春の名曲ですが、小書・膝行三段之舞では演出や装束が変わるに伴い、一曲の格式も上がり、ワキ方・笛方にとっても大変重い習いとして扱われています。もちろん大日方寛・竹市学両人とも勤めるのは今回が初めてです。

趣向は前回と違いますが、各々がこれまで舞台に取り組んできた姿勢と積み重ねてきた力、そしてさらに先に進もうという意思の強さが問われることに変わりはありません。

いわば三つ巴で挑んだ前回の「野宮」。今回は各々が持てる力を尽くし三者並立の意気で臨みます。

宝生流は国立第二期研修担当のお流儀でした。お家元はじめ我々が平素よりお世話になっている皆様にご出演頂きます。特におシテの武田孝史師はいまや宝生流を担う重鎮のお方ですが、大日方が大学時代に所属していた能楽サークルの師範でもあられました。若かりし頃に頂いたご縁がこの会に繋がりましたことを心からありがたく存じております。また、お囃子方も我々が全幅の信頼を寄せる皆様にお力添え賜ります。

前回同様、我々の姿を長く見てきて下さった皆様に囲まれて大曲に挑むことに感謝いたし、自ら名付けた「硯修」の名に恥じぬよう懸命に勤める所存でおります。

何卒ご高覧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。


射狸 概要

猟師の男(アド)によって、親類の殆どを狩られてしまった狸(前シテ)。狸は猟を止めさせるべく、男の伯母に変装して説得を試みる。渋りつつも、最後には猟を止めようと約束した男。その言葉に満足した狸は、上機嫌で小唄を謡いつつ夜の野道を帰って行く。ところが、そこへ男がやって来た。実は彼は、猟を諦めてはいなかったのだ。伯母の不審な姿に、狸の変装だと気づいた男。怒り心頭の男を前に、狸は一目散に逃げて行く。

草叢に逃げ込んだ狸を男は探す。やがて「名高き”狸の腹鼓”を見せたなら命を助けよう」との男の言葉に、真の姿を現した狸(後シテ)。必死で腹鼓の芸を見せる狸に、男はすっかり上機嫌となる。しかし狸が隙を突いて弓矢を奪うや、男はそれを奪い返し、再び狸を追って行くのだった。

熊野膝行三段之舞 概要

遠近江国池田宿の遊女・熊野(シテ)は、平宗盛(ワキ)の寵愛を受け、都に留め置かれていた。病気の老母を持つ彼女は度々暇を乞うものの、なかなか帰郷の許しが出ない。そうする内、余命僅かの身を嘆く母の手紙を携え、侍女の朝顔(ツレ)が訪ねて来た。熊野は手紙を宗盛の前で披露するが、宗盛はなおも帰郷を許さず、そればかりか彼女を花見の供に連れ出してしまう。

一行は東山へと向かい、熊野は京の様々な景物を目にしては憂いに沈む。やがて清水寺へ着いた宗盛たちは酒宴をはじめ、熊野は母の身を案じつつも桜を愛でて優雅に舞う。その時、俄かの通り雨に散ってゆく花を見た熊野は、母の面影を重ねて歌を詠む。その歌に心動かされた宗盛は、ついに彼女に帰郷を許すのだった。

撮影:前島吉裕

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